「始まったら終わってしまう」という言葉が井上小百合さんの口からぽろっと出た時、私は倒れるかと思った。
突然だが、私はひと夏の長さより過激派である。
なんでと理由を聞かれると「全て」と答えてしまうのだけれど、強いて言うなら「嫌いな夏を好きな思い出が飲み込んだ瞬間と重なったから」だと思う。夏は昔から苦手。根本的に暑さに耐えられないし、今までやってきたスポーツの辛かった記憶とか生まれつきの身体的事情とか、色々あるけど。乃木坂と出会ってからの夏はとても楽しかった。"いつもの夏と違うんだ" だった。
大学生になって外に出る機会は圧倒的に減ったし、好きなものの為に働いて、好きなものの為に時間を使う夏になった。そんなタイミングで現れたのが「ひと夏の長さより」だった。
人は、当たり前に時が過ぎることを知っている。
そして大人になればなるほど、駄々をこねられなくなる。だけどひと夏の長さよりはそんな私たちのワガママをワガママだと分かった上で歌ってくれる。
始まったら終わってしまう当たり前の出来事も
できるだけ延ばしたかった
これが全て。当たり前の出来事が特別だったこともちゃんと分かってるのに。来年の夏のことも考えているのに。目の前の夏が終わらなければいいのに、と思ってしまうのは終わった後の淋しさを知ってるからだ。そしてそう願っても時は止まることなく進み続けることも知ってる。だけど叶わないからと躊躇せず、言葉にするきっかけになった曲だと、私は思うのだ。
どんな物事も終わるからこそ、思い出になる。思い出にはその瞬間の感情に後から振り返った時の感情が付加価値となってより眩しいものになる。だから「始まったら終わってしまう」ことを出来るだけ悲観的に見たくはない。そんな風に思える環境にいることが幸せだ。一緒にいるときにそうやって言ってもらえたら嬉しくて泣いてしまうくらい。だからこれからも寂しがって終わらないでって駄々こねて、別れ際は「じゃあまたね」って笑顔で手を振りたい。
4日間有難う。また会おうね、大好きだよ。